☆フェアトレードで希望を育む社会起業家☆  by ERI SATO

パレスチナのヨルダン川西岸のジェニンという北部の小さな農村で生まれたナセル・アブファーファさん(51歳)。
アメリカの大学を卒業後、ジェニンに戻って仕事を探しましたが、第一次インティファーダと呼ばれる「イスラエルによる占領に対する民衆蜂起」が発生したばかりで就職どころではありません。
仕方なくアメリカのハイテク業界に就職したものの何かしっくりこないものを感じていました。

その後、食品業界への関心が高まり一転してウィスコンシン州のマディソンでレストランを開くことに。オーナーシェフとして人気を博したものの、故郷を想う気持ちは募るばかり。そこで、一念発起してウィスコンシン大学マディソン校の文化人類学と国際開発学の博士課程でパレスチナ研究とフェアトレードを専攻し、自ら実践すべくジェニンに帰還することにしたのです。

樹齢700年~1000年のオリーブ(ルミ種)の木

ヨルダン川西岸にはオリーブ畑が広がり農業が主たる産業となっています。同氏はオリーブの小作農家たちを組織化するためパレスチナ・フェアトレード協会を創設し、10年間で1700以上の農家と提携しました。2004年には製品開発と貿易を担うカナーン・フェアトレード社(以下、カナーン社)を設立して社長となり、オリーブオイルとしては初めてフェアトレードの認証を受け主に欧米市場に輸出し始めました。

旧約聖書において「乳と蜜が流れる土地」とされるカナーンは「肥沃な三日月地帯」にあり何千年にもわたって農業が営まれてきました。上の写真にあるルミの木は、ローマ帝国が古代パレスチナを属州としていた紀元前後にローマからもたらされたと言い伝えられる品種であり、歴史を見続けてきたシンボルでもあります。

オリーブの段々畑が延々と続く丘

 

ジェニンのオリーブ畑

パレスチナには世界各国から巨額の援助金が流入し、日本も最大の援助国の一つですが、主力産業の底辺を支える小作農が貧困層のまま今日に至っている状況を変えようと立ち上がったのがアブファーファさんでした。カナーン社設立当時のオリーブオイルは1キロあたり約2ドルで取引されていましたが、その価格では持続的な農業を営むことは難しく農地を放棄する農家も多く存在していました。

そこで、同氏は、買い取り時の最低価格を1キロあたり4ドルに設定し、豊作不作にかかわらず保証することにしたのです。ヨルダン川西岸人口の約25%を占める農民の貴重な収入源をオリーブ産業で賄っていくため、フェアトレードによる輸出事業を拡大し、より多くの農家や女性の協同組合との同協会を通じた取引を推進しています。

カナーン・フェアトレード社

 

アブファーファ社長と女性スタッフ

カナーン社は、ジェニン近郊のベルキンという村にありますが、そこはキリストがハンセン病患者を癒した聖地でもあります。小さな商店がひしめき合う雑然とした中心部や難民キャンプのある地区からは想像すらできない、洗練されたデザインの社屋と最先端のオリーブの圧搾機やボトリングラインが立ち並ぶ工場の視察をさせて頂いたときには、これが本当にパレスチナなのか?と目を疑うほどでした。

カナーン社は、有機認定を取得した最高級のエクストラバージン・オリーブオイルを生産し欧米でも数々の賞を受賞しているほか、アブファーファ社長も世界各国で社会起業家として注目を集めています。

ジェニンのレストランにて

 

ベルキンの丘で

カナーン社のオリーブオイルは、日本においては、オーサワジャパンというマクロビオティック食材の卸問屋のプライベート・ブランドとして発売され好評を博しています。
パレスチナでアブファーファ社長のような社会起業家が活躍し始めたことは大きな希望であり、ヨルダン川西岸の産品はイスラエルを経由しないと輸出できない構造となっているものの、イスラエル人もビジネスを通じて下支えしています。

日本向けのオリーブオイルタンク

 

日本向けにボトリング

創世記の章には、大洪水の後に鳩がオリーブの小枝をくわえて戻ってきたという記述があります。オリーブは平和と繁栄と知恵の象徴としてパレスチナの地で大切に育てられてきました。今日も中東和平が実現することを祈りながらオリーブオイルを健康増進も兼ねて頂くことにしましょう。

カナーン社のオリーブオイル

 

古代のオリーブ搾油機

NHK国際報道「パレスチナのオリーブオイルを世界へ」
http://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/lounge/141119.html

カナーン・フェアトレード社
http://www.canaanfairtrade.com/

カナーンのオリーブオイルが買えます
http://lima-netshop.jp/